あたりまえのことを書く

友人の作家が言っていたのだが、エッセイとは当たり前のことを書くのが大事らしい。少なくとも自分が当たり前だと思っていることを書く、ということだが、それにより共感されたり反発されたりするものだそうだ。当たり前とは人それぞれだし、自分がちょっとずれていることを自覚しつつ当たり前だと思っていることを書く。ま、そりゃそうだなと思う。人の文章を読んで自分の考えがまとまったり、気づいたりすることはよくある。他の誰かが言葉にすることで、自分も楽になったりする。そういうのってきっとすごく大事だ。

とはいえ信じているものによって当たり前は変わってくるので、そこのバランスはとても難しい。価値観は人それぞれなので、自分にやさしい価値観にどうしても擦り寄ってしまうし、似たような価値観で集まりがちなので、気をつけたい。あとやさしくされると人は簡単になびく。

宗教活動とか政治活動とかマルチ活動とか陰謀論活動(?)とかって、結局仲間作りの側面があって、最終的にはコミュニケーションの問題なんだろうなあ、と思うことがある。ネットでのことはよくわからないけれど、以前宗教の人の訪問を受けた時に、その人たちがふたりで励まし合っていたりして、大人になっていいおともだちできました!? よかったですね!? という感想を抱いたことがある。その視点で見ると駅前でそういう活動をしている人たちは、サークル活動をやってるんだと思うので、悪いものでもない気がする。

でもある種の宗教や活動は洗脳に他ならず、しかし自分が洗脳を受けてない可能性なんてどこにもないし、難しいよなあ。人は簡単に価値観が左右されるのでね。とはいえ私は私が当たり前だなと思うことしか書けないしできないので、そうやって思想は純化されていくんだろうなあと思う。

お気づきでしょうがとにかく陰謀論に怯えている日々です。練馬区早くワクチンクーポン送ってくれないかなー。