仲西環のこと

仲西環のことを急に思い出したとツイートしたら、仲西さんのことを書いてくれとお仕事の先輩に言われた。出会ったのはもう20年以上前のことだ。

その頃、私は沖縄にいた。ゲーム雑誌編集部をやめて、どっかに行きたくて沖縄に行った。20代前半だ。あの頃の私はまあひどいもので、貯金も大してなかった。来沖して1ヶ月ほどで仕事を見つけた。メディア系の学校での講師見習いだ。ちょうど開校して1年目、経営母体を東京に持つその沖縄校の声優学科の生徒に仲西環がいた。仲西は私と同い年(同学年)だった。学校といっても人数が少なく信じられないくらいにアットホームだった。そして沖縄はとにかく飲む文化だった。生徒たちの中で仲西はひとり少しだけ年上だったのと、同い年だったこともあってよく飲んだ。沖縄のことを知らない私にいろいろなことを教えてくれた。逆に東京のことをよく話した気がする。

沖縄の訛りはなかなか標準語にならず、生徒たちはみんな苦労していた。

1年が経って、仲西と他数人は東京に行った。私はまだ沖縄にいた。仲西たちはたぶんルームシェアをして女の子たちだけで暮らしていたと思う。

3年ほど沖縄で暮らしたあと、私は東京に戻り、ゲーム雑誌ライターに復帰し『メモリーズオフ』というタイトルの取材で仲西と再会した。ゲームに登場する女の子を演じる声優に水樹奈々池澤春菜、そして仲西環だった。ふたりとも下っ端で私は取材だったので、すみっこでちょっとはしゃいでから、その日は連絡先だけを交換して終わった。そのあと一度だけ飲んだ。それからは会ってない。ただ活躍の様子をしばらくは気にしていた。そして昨年訃報があった。

20代の1年間少し親しくしていた友だちで、それ以上でもそれ以下でもない。仲西の訃報そのものも悲しかったが、あんな風に短い間でも親しくしていた友人が、もしかしたらもうたくさん死んでいるのかもしれないと気づかされたのも仲西の訃報からだった。たまたま仲西が少し近い業界で売名商売をしていたから訃報を知った。私はあの頃の友人の今をほとんど知らなかった。

古い友人なんてそんなものかもしれないけれど、不義理ばかりをしている結果だ。旅行ができるようになったら沖縄に行こう。

思い出すのは沖縄の青い空、宜野湾公園のビーチパーティでダラダラ飲んだ日のこと。私あの日サンダルですっころんだ。なにを話したかも覚えていないけど、とにかくゲラゲラ笑った。楽しかったな。