書く文章より喋ることがおもしろい

書いてる文章より喋っていることがおもしろい、と先生に言われたのは小学5年生の時だった。

その日私は放課後教室に残されていた。といっても居残り勉強ではない。自慢話だと思って読んでくれればいいが、横浜市の小学生の代表として私は横浜こども平和委員というのに選ばれており、横浜こども平和宣言の草稿を書くというミッションで残されていた。何故選ばれたのかはよくわからないが、優秀なこどもだったのであろう。しかし何を書くべきなのかよくわかんないまま原稿は進まず、できあがった原稿に対し先生は「書いてる文章より喋ることのがおもしろいわよね。他の子を選べばよかった」と言ったのだ。

その後文章を書いてなんとなく商売をしているのだが、飲み会やら講義やら喋る仕事のあと、さらには文章が全然書けない時に、教室から見えた校庭の風景と一緒に先生の言葉を思い出すのだ。みんな私が謎の原稿を前に唸っているところで遊んでたなあ。

それにしても今「書く文章より喋ることがおもしろい」について考えると、そりゃ当たり前だよ、となる。喋ることが面白い人の文章は大体おもしろいです。おもしろい文章を書く人が喋ることも大体おもしろい。どちらも言語なので繋がってるんだから当たり前だ。お笑い芸人の文章も割とおもしろいし、作家さんなんて話すと大体おもしろい。もちろんどちらにも例外はあるだろうが、そんなもんだよなーとなる。

しかし小5の私はそう言われてまあまあショックだったし、私の書く文章はつまらないんだなあ、と思ったし、自分の文章がつまらないと思った時にどうしても思い出す。

あの時、先生もめんどくさい仕事だったのだろうし、本当に他の子にすればいいと考えたんだろうな。でもそういう一言って生徒の心には残る。いちいち気にするとなにも言葉を発せなくなってしまうが、普通の生活だってそういう言葉はたくさんあるだろう。私は迂闊な発言が多いので気をつけたい。