「なんか楽しい」と「原爆の図」

 時々引き寄せられた、と思うことがある。それは別にスピリチュアルとかオカルトとかいう話ではなくて、縁というものが一番近いのかもしれないが、とにかくそういう少しだけ不思議なことというのは、たまに起こる。人は偶然を物語にすることが大好きだし、でもそれを偶然と片付けるにはやっぱり不思議で、そういうとき、直後にはあまり口にせず、大事にしておいて、やるべきことをやって、それで少し経ってからこういう文章にすることが多いような気がする。

 時松はるな、という画家がいる。これもまた縁としか言いようがないが、趣味の領域で出会ってもう十年弱になると思う。その彼女の個展『なんか楽しい』が7月1日までギャルリー東京ユマニテで開催されていた。

 今までの時松さんの絵はどちらかというとやさしいような、あたたかいような、しかしちょっとこわいような、それは私が感じたことに過ぎず、私は絵のことはさっぱりわからないのだが、ともあれ好きな絵だ。今回の個展も友人を誘って伺った。会場にはちょうど時松さんもいた。新作群は今までとは少しタッチが違って、墨汁で描かれたものだった。コロナやここしばらくの世界を経てなのか以前より少し”こわさ”が増しているように私は感じた。

 見ていくうちに、ふとこどもの頃見たことのある絵が脳裏に浮かんだ。それがなんだか気づくまでに時間はかからなかった。私は時松さんに「これを言っていいのかわからないけれど……」と前置きした上でそれを告げた。感想として「他の絵に似ている」なんてよくない気がするし、特殊な絵の話をしようとしているし、言っていいのか迷いがあった。そのときは多分こう伝えた。「原爆の絵を思い出した」と。とにかく第一印象でそう思ったのだった。その場でスマホで検索してこんなかんじの……うーん、となりながら、しかし思っていた絵はなく、なんとなく伝えて、多分時松さんは「そういうことを言われたことはなかったので新鮮です」的なことを言っていたと思う。その時は多分、墨汁でたくさんの人が描かれているのが、あるいは「あぶない」というタイトルの絵がそう感じさせたのか、とにかくそう思ったのだった。

 ともあれ個展は素晴らしく、大阪の個展で展示されたという地下の絵も本当に胸に迫る強さを感じさせる絵ばかりだった。

 話には続きがある。個展を見に行って翌々日の朝、私は普段あまり早起きをしないが、その日は朝早くに起きて仕事をしていた。仕事部屋には処分しなければならない段ボールが溜まっていた。仕事の合間の比較的早朝、気分転換に段ボールをまとめてマンションのゴミ捨て場にいった。そこに1冊の本と紙束が捨てられていた。それは丸木美術館の図録『原爆の図』だった。あれは原爆の絵、ではない。『原爆の図』だった、とその時気づいた。本当はマンション敷地内であっても、基本的には捨てられていたものを拾ってはならないと知っている。しかしこれは、おそらく呼ばれたのだ、となった。原爆の図、なんて思い出したのはおそらく十年単位でなかった。それを一昨日思い出して口にした、そして今目の前のゴミ捨て場にその図録がある。このままではただ処分されるだけの図録が呼んでいるのだ、と思った。あるいは逆か、呼んだのか。

 少しだけ躊躇しつつ、しかしわずかに興奮して、持ち帰って中を見た。絵のタッチはもちろん全然違う。描かれていることも当たり前だが違う。非常におそろしい絵がそこにあった。でも、あの時時松さんの絵を見て感じたことは多分間違っていなかったと思い、そして他の連絡手段を取らず、便せんに簡単にいきさつを書いて、昼頃には発送した。そうするべきだと思ったからだ。

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 時松さんからは数日後に手紙が届いた。手紙にも「ふしぎな気持ち」と書かれていた。そういう不思議なことはある。縁としかいいようのない、そういうことの話をここにしたためておく。

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