46歳女は産まない 6/17

この数年でゆっくりと楽になり続け、46歳になって圧倒的に気持ちが楽になったことがひとつある。それはこどもを産まないことがほぼ確定したということだ。もちろん同世代でがんばっている人たちもいると思う。でも少なくとも私はこどもを産まなかった女としてこの先の人生を生きていくことになるだろう。

女性は若い頃から「こどもを産むタイミング」について考えさせられる。早いうちに「こどもは産まない」あるいは「こどもを産む」と決められれば楽だと思う。私の世代ではいろいろがなかなか難しいことであり、その結果少子化が進んだ。

私は10代の頃からお母さんになりたかった。こどもが欲しかった。理由はよくわからない。今の私が追及する意味もない。30才の時結婚をして、その後に妊娠をした。しかしダメになってしまった。それから離婚して、次につきあった人はこどもがいらないと言った。そして彼と別れ40歳になった。タイムリミットが近い。ここからこどもが欲しい、夫となる人を探すというのは非常に難しい。万が一があったとしても確率は低い。科学の力でパートナーがいない状態でこどもを産む方法はある。だがそうするなら30代のうちにやっておくべきだった。そこまでの勇気はなかった。

今は迷う必要がない。これから先、人生のパートナーとの出会いはあるかもしれない。その結果こどもができるかもしれない。でも私が妊娠出産することはない。

人生の中で諦めきれなかった不確かだったものを強制的にあきらめることができるというのは非常に気楽だ。以前は友人のこどもたちに少しだけ複雑な気持ちを抱いていたけれど、最近の私はただおばさんとして年下の友人の赤子に夢中である。赤子を抱きながら一瞬過去に思いを馳せることはある。でも腕の中の温かいものは私の過去にはなんら関係なく、ただ愛しく守られるべきものとしてそこにいる。世界は悲しいことばかりだ。でも君は生きていく。本当に愛しい。