河合くん売れたよね(6/9)

今年に入ってからおたく系の友人によく「河合くん売れたよねえ」と言われる。河合くんのおたくであるところの私はヘラっと笑って「売れましたねえ」と答えてなんとも言えない複雑な気持ちになる。

そうなんですよ、河合くん売れてるんです! すごいでしょう! とか答えられればいいのだが、河合くんに関する私の気持ち悪い思いはこのブログの過去記事でも検索してもらえば一目瞭然であり、この複雑な気持ちはなんとも説明しづらい。いや売れるのは当たり前なんですけど、私の推しなので。

おたくになって物心ついてからこの体験は2度目であり、大体10年くらい前によく「Perfume売れたよねえ」と言われたことを思い出す。あの時も私はヘラっと笑ってなんとも言えない気持ちになった。

売れて悲しいとか遠くにいっちゃったとかそういう思いは本当にまったくなく、しかし100%喜びかと言うとそうでもなく、なんで今まで売れてなかったのかとか、多分そういうことを考え始めるのだと思う。あと河合くんは売れたがまだA.B.C-Zは売れてない気がする。

私は推しに売れて欲しいと思っている。しかし売れるとはなんなのか、売上か、TVに出続けることか、個人のギャラのことか、大衆認知か。それを言うなら小説家やシナリオライターも同じだし、売れるってなんだよ! とエンタメ業界20年選手なんとか生き残ってきて未だに全然わからない。

ついでに言うとバラエティの河合くんのことはそんなに好きじゃない。これは比較級の話であって、アイドルな河合くんのことが1番好きなだけなのだが、じゃあおまえが呪いのように追ってきたSMAP中居正広はどうだよ、となり、過去の体験に当てはめて考えるのも老化な気がする。今思ったけど河合くん紅白の司会をやろう。そうしよう。

そんなわけでコロナ禍下、半年ぶりにコンサートで見たアイドルのA.B.C-Z河合郁人は最高でした。アイドル最高。

オーサカ大阪大坂(3)(6/8)

続いてます。

オーサカ大阪大坂(1)

オーサカ大阪大坂(2)

そんなわけで東京進出しつつある見取り図を見ているのだが、この4月から彼ら初の全国レギュラーとなった『ラヴィット!』の高円寺レポで「東京にもこんなところあるんや」みたいなことを言ってて、ほおお、となってしまった。東京進出してきた大阪の芸人さんということでバラエティ的に言ってる可能性もあるが、リリーがnoteでも「東京にもこういう店あるんかぁ」(https://note.com/notelily/n/nc14d6110b70e)と書いているので、まあまあ本気の感想なんだろうと思うと、大阪を知る上で勉強になる。逆に大阪に行って「大阪にもこういうところがあるのか!」って多分思ったことがないので、ちょっと不思議な差異である。

そういえば月1回大阪に行き始めた頃、大阪の南側出身のスタッフが「大阪は大きな地方都市です」と教えてくれたことを思い出す。私の認識は多分そこからズレていて、東京と肩を並べる特別なカルチャーのある大都市だと思っていたのだ。いや、特別なカルチャーがあるのは事実だろうが(そしてどこの地方にも特別なカルチャーはあるだろうが)、対東京ということについて、東京から見た大阪と、大阪から見た東京について私は大した差異はない気がしていた。しかし、そのふたつは全然違うのだなあ、と大阪で講義を始めたころに感じたことを改めて噛みしめている。なんならちょっと前に書いた地方格差についても改めて考えている。私は大阪の生徒たちの東京に対する思いを全然わかってなかった。

その上でさらにお笑い芸人の東京と大阪の対比、なんなら「足立区のたけし」からの「浅草ロック座」、松竹と吉本、東宝の成り立ち(3社とも成り立ちは関西がきっかけといってもいい)、芸能、興行師、あるいは映画と舞台、テレビ、ネット配信と地方ローカル番組、YouTube、今の世界とエンターテインメント、と考え込む。

実際は早く大阪出張して、ついでにNGKとか行きたいだけなんだけど。

私に! 生の大阪のお笑いを見せてくれ!!

オーサカ大阪大坂(2)(6/7)

昨日のエントリの続きです。

そんな講義をやってきておかげさまで(コロナ禍でなかなか行けてもないし今後少子高齢化の中どうなるかはわからないが)なんとか契約を続けさせてもらっており、講義アンケートに「東京の人だけど大阪のおばちゃんみたい」と書かれ「褒められてるんだか貶されてるんだか全然わからない!」となりながら、とはいえ生徒たちの東京苦手意識をどうにか改善したいとありがたくも楽しくやってきた3年目、私の中で空前のお笑いブームである。

根がおたくなので、リアタイの録画を消費しつつ、大阪のローカル番組やらなんやらを掘る(ネット配信ありがとう!)中で気がついたのは、関西の若者の東京への苦手意識は多分半分以上おまえらのせいだ!! 大阪芸人!! というものであった。

芸人の東京進出について、見取り図の東京進出からとてもわかりやすく解説してくれていたnoteがあったので貼っておく(見取り図、東京行っちゃうの?:https://note.com/sampaniyon/n/n5210e838baf3)が、大阪ローカル番組でお笑い芸人たちは「東京進出」についてよく語る。なんなら東京の番組でも語るし、今その只中にいる見取り図なんてネット記事にもなっているレベルである。過去に進出してきた芸人たちも、東京進出の成功や失敗、東京の怖さを語る。こんなん語られたら東京むちゃくちゃこわいところになるに決まってる。いや、わかるよ。わかる。生まれ育った街を捨てて、新しいところに行くのは怖い。東京進出の悲喜交交、そして中央のメディアとエンタメの恐ろしさが大阪ローカルでおもしろおかしく語られて、東京はこわい街ってなって、大阪が1番やな、てなるのはわかる! わかるけどさー! 少なくとも私の教えている君たちは芸人じゃないし、いや広義の意味で芸人だとは思うが、東京進出をするタイプのお笑い芸人ではないし、初めから全国と世界が相手だからな、覚悟しろ。

いやしかし大阪難しいなあ。(続きます→https://happy-hour.hatenablog.com/entry/2021/06/08/005816

オーサカ大阪大坂(1)(6/6)

ひとつ前で最近お笑いをよく見ていると書いたが、途中でこれは大阪への理解の旅でもあるな、と思った。この半年弱見ているのはちょうど見取り図が(多分)東京進出をしよう、というタイミングである。全国的に売れ始めているところを追えるのは非常に楽しい。と、同時に大阪ローカル番組や大阪のカルチャー、大阪の街を見ることが以前より増えた。

ところで私は3年ほど月1回大阪のエンタメ系専門学校で講師をしている。この3年で関西と大阪の若者への理解を深めてきたところだった。

講義を始めたばかりの頃、まず関西弁と標準語の差異、そしてなんとなくベースとしている(おたく以外の)カルチャーに戸惑っていた。そして彼らはおそらく、東京というものに恐怖心を抱いている。地方から東京に来る人は大体みんな抱いてはいるのだろうが、東京は冷たいところだとか標準語が冷たく感じるとかそういうぼんやりとした悪印象である。そしてそこに東京から来た現場でバリバリやってる(ハイテンションで変なTシャツを着ている金髪の女)講師という私である。東京下町(母)横浜下町(父)ハイブリッドであるところの私からすれば地方出身の奴が言う東京冷たいとか知らんがな、標準語こわいとか慣れろや、こっちも関西弁ちょっとこわいわ、という気持ちなのだが、実際に彼らはこれから東京で仕事をすることや、東京中心のエンタメビジネスについて質問を投げかけてくる。そりゃそうだ、そしてそれを緩和するためにわざわざ東京から呼ばれて講義をしているんである。そう気づいてからは大体2回目くらいで「私の標準語」という話をする。君ら標準語こわいでしょう、私も方言こわい、ちなみに私の標準語は東京横浜下町ミックスなので、実は標準語とされてるもののなかでも柄が悪い、山手言葉なんか喋ってられるか、私も関西弁の聞き分けがつかない、というと関西のあちこちから来ている彼らは大体理解して盛り上がる。

(続く→オーサカ大阪大坂(2) - しあわせなじかん、とか

お笑いを見ている(6/5)

年始くらいから突如お笑いにハマってYouTubeをよく見ています。正確にはお笑いというよりYouTubeで動画を見ることにハマったのかもしれないけど、ってここまで書いて直前に読んだ本の文体に影響を受けていて笑ってしまった。

それはさておき、きっかけは友人がかまいたちにハマったこと。そこから波及してお笑いを見るようになって、なんとなく推しは見取り図! というところに落ち着きつつ、周辺もちらほら見ている。お笑いに関してはM-1は見てるけどTV大好きっこというわけではないので、知らないことが多かったのだけど、おたくなのでいろいろ掘ってしまうし、いくらでも掘れてしまう。他ジャンルでも同じだが、案外好き嫌いがハッキリしてるなあと自分で気づいたりおもしろい。好き嫌いというよりは苦手なタイプのものがある。それ以外はなんでもおいしくいただけるので、自分でちょっと不思議な気がする。

あと改めてお笑い芸人というシステムというか、吉本というシステムはすごいなあ! ちょっと前に私の中で芸能史の書籍を読むのが流行って吉本史もいくつか読んだけど、歴史も含め、現在のシステムがすごい。私の立場(ライター兼たまにエンタメ系専門学校講師)から言うと具体的にはNSCが多分すごい。ちゃんとエンタメをメソッド化してるところはやっぱり強い。宝塚とかジャニーズとか伝統芸能もその仲間。もちろんメソッドがある上で結局メソッドなんてないので、死屍累々なエンタメっておそろしい。本当におそろしい。切り捨てていく吉本おそろしい。しかしエンタメとは常に新陳代謝と切り捨ての世界である……と同時にメソッドと経験がものを言うのだ。メソッドってつまり基礎と言ってもいいのかもしれない。生き残っていくためには基礎だよ基礎。あとはほんのちょっとの狂気。狂気のバランスは人によるけどねえ。狂気が強すぎてもやってけないだろうし。はーなんの話だっけ。お笑い楽しいです。

社会的強者とは(6/4)

昨日から続くけど、私は自分を社会的強者だと認識している。それは虚勢でもある、と書いたけれど、やっぱり都市部出身で教育を受けることができた女性というのは、恵まれている。家には母の蔵書があり、本に関してはとにかく与えてもらった。その後偏差値の高い中高一貫の私立の女子校に入った。だが私はさまざまな事情(と不勉強だったの)で、学生のうち99%が大学に進学する学校で大学受験をしなかった。ただしそのおかげで19歳でフルタイムの編集部アルバイトに潜り込めて今がある。

しかし同世代は就職氷河期にどんかぶりし、辛酸を舐めてきたのだろうと思うし、実態としてそれは感じる。幸にして友人たちは就職氷河期と言いながらそもそも恵まれていた人が多かったし、大人になってからの友人はITやゲーム業界の人が多く、景気も良く楽しかった。

とはいえ女であることで辛酸を舐めたことはあるし、セクハラは当たり前だったし、編集部にも泊まったし、まあそういう時代だ。

そして色々経て、30代で心を病んだ時期の回復期、私はどうやっても生活リズムが改善できなかったので、毎日朝起きて通勤をする派遣社員となって生活にリセットをかけた。そこにはいろんな人がいた。今でもたまに短期でそこに行けばいいのかなと思うけど、普段の生活だと出会わない人たちが安い時給で働いていた。とはいえものすごいセレブな奥様(多分)から独身のおたく、役者、ミュージシャン、いろんな人たちがいた。大人になってから仕事ではあまり会ってこなかった種類の人たちもいた。暮らし方が全然違う。

地域格差と男女格差、世代格差を一緒に語るのはあやうい。それらが複合している問題なのは事実だが、ひとつひとつを精査して丁寧に書かないときっと伝わらない。だからこの問題はとても難しい。全ての人が幸せになるのは難しいけど、みんながちょっとだけ経済的に豊かになる方法はたぶんあるはずだと信じている。

朝にしよう(6/3)

これ翌朝書いた方が1日のプログラムとして適切なのではという気がしてきたな。夜の文章はよろしくないというし、最近真面目に仕事をすると夕食を作る気力さえ失せてしまうのでよくない。体力つけないとダメです。ここまで夜書いて終わる。

そして翌日の朝というか昼だが、あんまり心持ちに変化はない。そもそも日記じゃなくてエッセイみたいなのを書けたらなと思ったのだが、つかみきれずにぼんやりしている。blog的なものってなんかテーマがあるべきなんだけど、特に主張したいことがあるわけではないというか、主張するのってめんどくさいじゃないですか。責任が伴うし。無償で責任を追いたくない。だとしたら書くべきではないし、この名前でやるなという話ですが。所属する団体には関係なく一個人の意見です、なんてただの言い訳だし、大体のことは所属する団体まで波及する世の中ですからね。本来大体頭の中は不謹慎なことでいっぱいなんですけど、所属する団体もあるし、取引先との関係もあるし。

そういや6月はPride Monthですが、日本ではあまり盛り上がってないような気がする。それどころじゃないって話なのかもしれないけど、アメリカ大使館のPride Tweetに「やりたいならアメリカだけにして」とリプって大使館が反論しているのを見て、げんなりした。なぜ自分が少数派でないと自信を抱けるのか。なぜ自分が少数派にならないと自信を抱けるのか。その上でなぜ自分が弱者であると思えるのか。あるいは無意識に強者のままでありたいと思っているのか。

私は最近自分が強者で恵まれているという自覚を持つようにしているのだが、それは同時に虚勢でもある。そうでもしていないと立っていられない気がするからだ。だから自分は強者であると口にする。しかしこの世界強者は叩かれるものらしい。こういうとき、ブルーハーツの歌詞がよぎる。

「弱い者たちが夕暮れさらに弱い者を叩く」