今季初クーラーの日(6/2)
今日は経理のスタッフが来てくれたので、今シーズン初めて2階のクーラーを入れた! 基本完全リモートなんだけど、経理周りはたまに来てもらわざるを得ないのであった。とはいえ去年は確か2回か3回しか来てもらってない気がする。打ち合わせをしつつ必要書類を探しつつ、インターネットには書けないようなおたくよもやま話をして楽しかった。具体的には『一度きりの大泉の話』とか!! その後のいろいろ含めてあれ本当にすごい話ですよね……。そういえば昨日『シンエヴァ』を見たのも大泉でした。まあまあ近いんですよ、大泉。実は映画館が苦手なんですけど、もうちょっと映画館に行きたいんだかどなー。
しかしうちのスタッフは大体わたしのあちこちにとっ散らかっているぼんやりした話を聞いてくれてえらい。えらい、ではない。ありがたい。私の周りの人みんなありがたい……てこんなこと言ってる人やばいのでは!? 感謝を口にし始める人ちょっとやばい気がする。感謝は大事ですけど!! 基本的に言葉足らずなのに余計なことを言ってしまいがちなので気をつけたいし、この1年でそれが悪化していると思うんですよね……。
そういえばちょっと心の具合を悪くして療養中の人が普段だったらそんなこと言わないのになーということを言っていたので、考えるところがあった。逆にそういう言動が心の具合を悪くしているサインということだ。そう思うと心の具合を悪くしている人がこの世界には多いのかもしれないな、となった。
一方で持病の精神疾患が悪化してしまった友人の話をしている人がいて、家族とも絶縁したらしいと言っていたのを見て、原因が精神疾患だとわかっているなら、なんとか療養をすすめてほしいと思ったんだけど、とはいえ責任は負えないので、本当に難しい。
なんだかよくない! よくない話をしている!! Twitterみたいな断片的な文章になってるのもよくない!! よくない季節ですね!?
再開したい気持ち(6/1)
去年の6月で毎日更新的なのをいったん区切ったんですけど、この世界でその日おきたことを本当に書くとなると、なかなか難しいのでどうしたものかなと考えている。
今引っ越しについて考えていて、どうして引っ越ししたいのかを書こうかなと思ったけど、それは引っ越しが終わってから書こう。とはいえまだ引っ越しできるかわからない。
あとお金のことがわからないのでお金のことを勉強したいんだけど、本当に苦手で困る。英語も勉強したい。とりあえず中学英語の文法から始めるべきか。日本語も不自由なのにどうするつもりだ。
東京都の映画館が営業再開したので『シン・エヴァンゲリオン 劇場版』をもう一度見たんだけど、感想は変わらず、だとすると世界に放つことができる感想は『ニュータイプ 6月号』に僭越ながら寄稿させていただいたあの文章になるということを確認した。そもそも映画を見た時は原稿依頼をいただくなんて思っていなかったので、そういうことは考えずに見ていた。あんなところにコメントをするということは、作品にある種の責任がある(と私は思うタイプな)のでもう一度見た。
さておき、その『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を今日見て1番衝撃的だったのは、メガネってすごいということだった。いやマリの話じゃなくて。実は急激に視力が低下(加齢によるもののよう)しまして、生まれて初めて常用メガネを作ったんですよ。ちょうど1回目と2回目を見た間に。メガネかけて映画見たらめちゃくちゃ見える。すごいな、メガネ。
思えば学生時代はずっと1.5カンストだった私の視力なのだが、途中で老眼を経て一昨年1.0、昨年0.7、今年4月で0.4です。老いがこわい。
もうひとつ感想をお伝えするなら、綾波が手を繋いでいっぱいやってくるところでこれはサマリーのサークルフライング! となったんですけどあれはそういう意味だったのか!
こんな感じのことを適当に書きたいと思っています。
I can't write it! / 作:金巻ともこ
cast:
A:脚本家
B:脚本家の部下(本人も脚本家)
C:脚本家の友人(男性)
D:脚本家の友人(女性)
○シーン1:A仕事部屋
Aパソコンに向かっている
横でBイライラ
A「いや書けないなあ。書けないよ。無理だし」
B「いやいやいつも書いてるじゃないですか」
A「今日は書けないよ」
B「じゃあ明日になったら書けるんですね」
A「書ける気がしない」
B「本番は○月○日(公演当日)ですからせめてその2週間前にはもらわないとね……いや、あまやかしちゃダメだ! その3週間前にはもらわないと困ります」
A「大体さあ、君はなんでそんなに書いてるわけ」
B「は? あんたのが書いてるでしょう」
A「それは過去の話であってさ、この1年で言うなら絶対君のが書いてるでしょう」
B「そりゃお仕事いただければ書きますよ」
A「私も書くよ。仕方ないけど書くよ。書きたくないけど。それ以外は?」
B「それ以外って?」
A「最近思うんだよね、これみたいに好きに書いていいっていうやつがもう全然書けないの。だって書きたいことないんだもん」
B「はあ」
A「君はどうやって書いてるの」
B「……身の周りのこととか、その時感じたこととか。書くのが当たり前だったからよくわかんないですよ」
A「身の周り~? 別に大した事件とかないし、ほとんど毎日猫と会話するだけだし、仕事も最近は金勘定の話ばっかりだし、書くことも書きたいこともなくない?」
B「そんなこと言ったら始まらないじゃないですか!」
A「だってさ~書けないんだもん。百歩譲って書くとするじゃん。でもちょっとエッジの効いたこと書くと叩かれたりするじゃん。ほんとやる気出ない」
B「まあそれはそうですけど……いや! これは好きに書いても叩かれないですよ! 各回25名限定だし、7回しかないし、そもそも25人埋まったことがない!」
A「そういう問題じゃない! 私は大ホール1ヶ月公演のつもりで書いてる!」
B「いや、書いてないですよね」
A「だって書けないもん。書きたくないし」
B「書きたくないってなに無責任なこと言ってるんです」
A「あとさあ若者の才能とか目の当たりにすると、ああほんとダメだなあって思うんだよね。だって普通考えつく? にわとりだよ? さらには4人のちょっと切ない恋、そしておっさんペット! もう無理じゃない? おばさんかなうはずなくない?」
B「俺だってたまにそういうことは思いますよ」
A「どうすんの、そういう時」
B「書くしかないじゃないですか」
A「全然理由になってねえ!」
B「……あなたそこそこ売れてますよね」
A「いや売れてないよ、売れてたっていうか、なんていうか……」
B「俺に比較したら売れてますよね。キャリアも長いし」
A「……まあそうですけど」
B「ほらあれなんでしたっけあのサッカーの小説。あれ何回再版したんでしたっけ」
A「……8回」
B「あの20冊くらい続いてる割となんかすごいシリーズもの累計何万部でしたっけ」
A「大体100万部」
B「自慢か!」
A「でも過去の話じゃない? サッカーの小説なんて前回のワールドカップの時の話だし、今どき小説なんて全然売れないし、その小説の話と今の書けない話は違わない?」
B「同じでしょうが! あと俺知ってますよ、書きたいものがないとかいって、なんかすっごいえっちな小説書いてネットにあげてますよね? 俺知ってます」
A「バカ! それは内緒! 内緒なのに……だってあの子をえっちな目にあわせたくなっちゃうんだもん」
B「書きたいものあるじゃないですか!」
A「……じゃあなにか? ここでえっちな話を書けばいいの? めっちゃエロいよ? ストリップだよ? まな板ショウだよ? 書けるわけねーだろ、ばーか!」
B「バカって言ったヤツがバカだ!」
A「ばーかばーかばーか! ばーか!」
(沈黙)
A「……書けないよ……」
○シーン2:数日前
酒を飲んでいるC
かなり酔っている
そこにAやってくる
C「おっ、ひさしぶり! こないだ原稿落としちゃってごめんな~いやもう全然書けなくて、気がついたら酔っ払ってたんだよね」
A「飲みすぎじゃない?」
C「最近ほんと肝臓の数値やばいんだよ。あとこないだ腹水もたまっちゃってさ~まあ飲めよ」
A「……いただきます」
C「相変わらずいいのみっぷりだな! おまえは!」
A「だってお酒好きだもん」
C「俺のこといえねえじゃん!」
A「でも肝臓の数値健康そのものだし」
C「そこよ! そこがどうしてなんだか俺にはさっぱりわからん」
A「……体質でしょ」
C「体質か~」
A「君もうアル中じゃん」
C「そうかな~そんなことないと思うんだけど」
A「死んじゃうよ?」
C「……死んでもいいんだよ、俺なんか」
A「ダメでしょ」
C「大体さあ、小説家なんて野垂れ死ぬものだと思わない?」
A「最近そういう無頼派みたいなの流行らないと思うけど」
C「小説家が健康な生活してどうすんの?」
A「健康な生活した方が小説書けるよ」
C「そうかなあ~俺はそんなんじゃいい小説は書けないと思うなあ」
A「そんなことないと思う」
C「酒飲んで死んでけばいいじゃん。生きてる意味なんてないよ」
A「死んだら書けないよ」
C「……でも早死にした方が評価される」
A「……そんなことないよ」
C「評価されたくない?」
A「早く死んじゃった人に失礼だよ」
C「俺は早く死にたいんだよ」
A「……それに読者がいるんだから早く死んじゃダメだよ」
C「……なにそれ」
A「待っている人がいるんだから。友達とか家族じゃなくて、読者がいるんだから死んじゃダメ」
C「…………」
A「そんな風に死んだって読者は喜ばない。読者を絶望させるために小説を書いてるんじゃないよね、私たち」
C「……いや~絶望してくれてもいいんじゃないの」
A「ダメだよ、そんなの! どこかの誰かがとても大切にしてくれているものを作ったなら、責任があると思う。病気や事故で死んじゃうのは仕方ないけれど、そんな自殺みたいな死に方したら絶対にダメだよ」
C「………………」
A「絶対にダメだよ」
C「……俺は死にたいんだって」
A「続きはどうするの」
C「どうせいつか死ぬんだし」
A「でも自分で死ぬなんて不誠実だよ」
C「考えすぎだって。……あいつだって死んだから評価あがったみたいなところあるじゃん」
A「……あんな風に早死にして、私は軽蔑してる。最低だよ」
C「俺はもう死にたいんだよ、あいつみたいに」
○シーン3:数年前
A「初単行本おめでとう! これお祝い。どんどん伸びていくから縁起がいいんだって、この苗」
AからDに渡される小さな植木
D「ありがとう! 先輩にこんな風にお祝いしてもらえるなんてうれしい」
A「先輩~? いや先に本は出してるけど、私らジャンルが全然違うじゃん。私どっちかっていうとエンタメの人だし。こういうエッセイみたいなのは書けないから。いつもすごいなって思ってるよ。どこかのさみしい女の子が救われる本だと思ってる」
D「(笑いながら)よくさみしい女の子の話、するよね」
A「うん。だってどこかのさみしい女の子や男の子のために書いてると思ってるから」
D「ほんとどこかのさみしい女の子に届くといいな」
A「いつかの私たちみたいに?」
D「……どうだろ」
A、はける
D「この木のように伸びていって下さい、か」
Dの手にした植木、その手から落ちる。
○シーン4
Aパソコンに向かっている
隣にB
A「書けないんだけど」
B「ああもうほんと言い訳ばっかですね、あなたは」
A「いやいやいやいや書けないでしょう」
B「全体的に言い訳ばっかりだ! 全部言い訳! そんなこと言ったって書くしかないでしょう!」
A「だってどうせ才能ある若者にはかなわないし~」
B「大体誰かに勝つために書くものじゃないでしょう」
A「きれいごと言いやがって」
B「普段はどちらかというとあなたの方がきれいごと言いがちです」
A「そうだっけ。全然書けないよ。書きたくないし、自分のことにも向き合いたくないし」
B「この際なんでもいいんですよ、書いてくれれば」
A「だから書けないって。そもそも自分のこととか書くの恥ずかしいしさ、それを人に読まれるのも見られるのも恥ずかしくて死にそうじゃん。いつもおまえのシナリオとかすごいなって思うよ。恥ずかしくないのかなって。なんならそれを自分で演じたりまでするわけじゃないですか、あなた」
B「ポルノ小説書く方がよっぽど恥ずかしいと思うんですけどね」
A「だから! それは! 内緒だって! 書かなければ幸せな世界が広がっている!」
B「……そりゃそうですけど。……じゃあなんで書いてるんです!」
A「わかんない。始めは誰かがほめてくれるからとかそんな理由だったと思うんだけど」
B「誰かひとりでもそこにいればいいじゃないですか」
A「誰かひとりでも?」
B「そうですよ、誰か、ひとりでも」
A「たとえばおまえとか?」
B「……まあ、そうですねえ」
A「私、おっさんじゃなくてさみしい女の子のために書きたいんだけど」
B「はあ、じゃあそのどこかにいるさみしい女の子のために書いて下さいよ」
A「……書けないなあ……」
B「まあ書けませんよね」
A「でも書くしかないのか」
B「そうですね」
A「書きたくないなあ」
B「世の中には書きたい人いっぱいいるみたいですよ」
A「やだなあ。あとめちゃくちゃ恥ずかしいじゃん、書いて読まれるのって」
B「急に物心ついたみたいなこと言わないでくださいよ。あなた何年文章書いてお金もらってるんです?」
A「24年くらい」
B「今回の俺以外のキャストと大体同い年じゃないですか!」
A「マジかよ!」
AB顔をみあわせる
A「やだなあ……書きたくないなあ……おまえにも読まれたくない、こんなの。ついでに演じられるかと思うと恥ずかしくて死にそう」
B「でも書いたんですよね」
A「仕方ないからね」
B「じゃあ始めるしかないですね」
A「ほんとだねえ」
B「はじめますよ」
A「やだなあ」
B「なに言ってんですか」
A「あとは頼んだよ」
B「はいはい」
B「FOUR FOR YOU FOUR! はじまります!」
舞台「FOUR FOR YOU FOUR!」より
※株式会社チクタク プロデュース公演『Four for you!! FOUR!』は4人の脚本家、4人の役者で、あなたに届ける4本の物語と銘打った企画の4回目の公演で、2018/7/13-16 に 高円寺hacoにて上演しました。これは大塚ギチが死ぬ前の戯曲で、奇しくもその初日が大塚ギチの事故の日であり、私はあとから事故を知ったのでした。
ユリイカ『女オタクの現在』に添えて
寄稿したユリイカが発売になりました。ユリイカに金巻ともこが寄稿するのは実に13年ぶりとなります。初めてユリイカの「文化系女子カタログ」に寄稿してから15年です。
15年前、「女子オタ30年戦争」という論考を寄稿したのですが、その3ヶ月前に出たユリイカの「オタクvsサブカル!」で「本誌にオタク側の女性が1人も呼ばれていない」と堀越英美さんが語られ、それを引用する形で私の論考は始まっています。今読み返すと(特に容姿に関する部分など)自分で反省するところが多くあるのですが、それでも2005年当時、なぜオタクの女性が語られてこなかったのかについて述べています。今回のユリイカでも近藤銀河さんが引用されている「コミックマーケット」の男女参加者比率についてや男女雇用機会均等法やananのセックス特集の歴史やジャンプのヒロインの変遷やそんな話をしながら下記のように締めています。
個人的な意見としては、現代のオタク女子には自分たちの趣味を恥じることなく、ちゃんと自分たちの活動をアピールしていって欲しいと思っている。(中略)たしなみを持った乙女の趣味として、ちゃんとオタクが認められていくように彼女たちには頑張って欲しい。私も不祥ながら頑張っていきたいと思う。
それから2年の時を経て「腐女子マンガ大系」では「腐女子業界の今とわたくしとイスカリオテのユダ」というタイトルで冒頭前回の「オタク女子について語られてこなかった理由」について述べ、まだちゃんと語られていない、しかし今オタク女子、そして腐女子は注目を浴びているという形で論考と言うよりはエッセイを寄稿しています。
「語ること」への不安を述べながら、最後はこう締めくくります。
女の子が趣味に生きることは決して悪いことじゃない。隠れるべきこともでもない。私たちは異教徒ではない。ごく普通の幸せを享受する資格があるし、誰かに迫害されるべきでもない。オタク趣味はごく普通の趣味に過ぎないのだから。(中略)
あなたたちは間違っていない!
オタク論が生まれて10年が経った。ゲームの話を思い起こせばオタク女子が一般に認知されるまでにはあと10年かかる。この10年で、オタク女子たちが―――腐女子たちがもっと胸を張って生きていけるようになるはずだ。
こう書いてきた私が今回「女オタクの現在」についてどれだけの思いがあるか伝わりますか!!!!! 途中で女性のオタクカルチャー的なものは何回かユリイカで特集されました。でもオタク女子、オタクの女性―――女オタクについては特集されてこなかった。でも特集されるようになった!
その上で15年前の「文化系女子カタログ」にも寄稿している唯一の執筆者(多分)である私が2020年、今の女性のオタクについて、「君に会いたい コロナ禍下の女オタクである私と君と」って書いてるのすげー! 編集さんの与えたテーマがすげー! 昔を語らせるんじゃなくて今を語らせた! すげー! めっちゃ編集されてる!!(当たり前だよ失礼な)
私はこの15年間、紆余曲折しながらずっと制作現場とオタク現場にいました。今回のそれぞれの論考にいろいろ思うところはあるんですが(女オタクとはなにか、その言葉の持つ意味、推しだけではない事象に対する女性のオタクの可能性、あるいは個別の事象についてなどなど)、女性のオタクの15年に思いを馳せると、とにかくこの特集そのものの存在が感慨深くて、本当にしみじみとしています。
昔話をする年寄りはよろしくないと思うのですが、それでもという思いでここに記しておきます。この本に寄稿できて、そしてこの本が発行されて、本当にうれしいです。
Twitterと重なりますが、少なくとも15年前より女性のオタクを取り巻く状況は“マシ“になってると思います。しかし“女性“を取り巻く状況、あるいは“世界“がどうなのかはわかりません。とはいえこの本が皆様の心に漣となりますよう。
ぜひご一読ください。
君の笑顔を
彼のことを思い出すとき、といっても私は熱心なファンではない。ただ『キンキーブーツ』という舞台を観た時の記憶が鮮やかだ。『キンキーブーツ』はドラァグ・クイーンのローラ、そして靴工場を継いだチャーリーが主演。日本版のローラを演じたのが彼だった。自分らしく生きていくことを歌い上げるローラが本当に素晴らしかったのだ。
シンディ・ローパーによる劇中曲『Raise you up』はそのタイトル通り繰り返しraise you upとローラが力強く歌っていた。あんなに強いメッセージを持った舞台を演じた彼がそんな道を選んだことに悲しみしかない。
そして以前も似たような話をしたが、改めて報道に対して憤りを覚える。私はあまりリアルタイムで事件に言及しないようにしているが、あまりのひどさにTweetしてしまったものが拡散された。
このようなことがあるたびに永久に貼り続けますが「メディア関係者に向けた自殺対策推進のための手引き」です。このような報道はすべきではありません。https://t.co/juNReSYBXI
— 金巻ともこ (@tomoco) 2020年7月18日
直後のTweetだったせいもあるのだろう。このあと毎日新聞が私のTweetを引用RTした精神科医の斎藤環さんのTweetを私のTweetを削った形で記事にした(その上斎藤さんのTweetによると無許可だったという)という小さく不愉快な出来事もあった。不愉快だが記録として残しておく。本当に呆れる。
この毎日新聞の報道自体ガイドラインに照らし合わせると適切な報道とは言えない。それにしても直後の報道も、そして今に続く報道もひどいものだ。
私の思いは直後にTweetしたこれ以上でもこれ以下でもない。
そして私はコンビニでスポーツ新聞の一面見出しにクラクラしていました。あなたの家族に友人に自ら死を選んでしまった人はいませんか、そうですか
— 金巻ともこ (@tomoco) 2020年7月19日
私は家族と友人に自死を選んだ人間がいる。そしておそらく最後のきっかけは些細なものだろうと思う。こういうとき、ガイドラインを守って適切な報道がなされることを願ってやまない。またそういう思いを心に抱いてしまう瞬間はある。この不安定な世界できっとみんな不安な気持ちでいる。友達に頼れないという気持ちもわかる。せめて精神科の受診を、あるいは電話でサポートしてくれる団体や、対策をしている団体がいくつかある。どうか助けを求めて欲しい。
観てきた
『特別展 きもの』東京国立博物館
和服大好きなのでいかねばー! とさくさく行ってきました。中世の和服の細工にくらくら。江戸の火消し半纏めちゃかっこよかった。あと信長はなんていうかアホ(褒めてる)だなって。そして素晴らしいのが図録。大判400ページ布張り箔押し3000円ほぼフルカラー章扉特殊紙って!? みんな通販でもいいから買った方がいいよ! ぷらっと常設展示見てホールで「半沢直樹だー!」となったりもしました。
『ロンドンナショナルギャラリー展』国立西洋美術館
ひまわり!! はさておき、肖像画に犬がいっぱいいるのがちょっとおもしろかったです。ナショナルギャラリーのコンセプト通りにノンジャンル名画がたくさん。スペイン絵画が好きだな、というのと1914年に同ギャラリーで婦人参政権論者の女性が裸婦画に切りつけたという事件を知っていろいろ思うところがありました。ゴッホはいつ見てもなんかつらくなる。
ところでイヤホンガイドが、きものは鈴木拡樹で、ロンドンは古川雄大だったので、わかってるなー! とおもしろくなってしまった。
あとギャラリー系はなんで今まで時間制じゃなかったの、めっちゃ快適だけど? ずっとこのままでよくない? となりました。
科白劇 舞台『刀剣乱舞/灯』綺伝 いくさ世の徒花 改変 いくさ世の徒花の記憶
解禁後舞台を観るのは4本目。1番対策してる舞台でした。今回はなんといっても七海ひろきさん演じるガラシャ様がすんごかったです。すごかった……。後半戦のガラシャ様まじやばかった。歌仙が負けるかと思いました。闇落ちしたガラシャ様の登場シーンでみんな息を飲んだよね、これ末満さんやりたかったよね、わかるわかる、見たかった! てなりました。かなりソーシャルディスタンスに気をつかった演出だったのですが、普通のお芝居で観たかったなー。しかし刀剣男子を観に行ったはずなのに、観てきた客が大体ガラシャ様の女になって帰ってきていましたね、わかります。
『人間合格』
紀伊國屋サザンシアターでこまつ座の『人間合格』(公式サイト)。『日本文学の旅』『銀ちゃんが逝く』に比較すると1番コロナ対策がゆるかった印象。でもこの『人間合格』ってコロナ禍前にチケット販売しているし、再販も厳しい客層だろうし、仕方ないところもあるし、その中ではなんとか対策をしていたと思います。でも年齢層高い=リスク高いのにな……。ちなみに会員以外の客は対策として入場後に座席番号と住所氏名を書かされました。
あーでも書いちゃうけど、劇中で演者が変装のために他の演者がつけていたマスクをつけるシーンがあって、それはダメでは!? 井上ひさしの脚本そのままだとしても今はダメなのでは!? という気持ちでいっぱいになりました。あれ本当は違うマスクだったりしたのかな……。『日本文学の旅』と『銀ちゃんが逝く』ではある程度演者同士のソーシャルディスタンスにも気を遣っていただけに、うーん。
しかし井上ひさしはすごいなあ、そうかこういう風に太宰治を描くのか。出演者も全員すばらしいお芝居でした。あと津軽の歌が最高だった。とはいえ今を感じさせる芝居という印象ではなく、おそらくいつもどおりでそれはそれで愛しい。帰宅してそのままAmazonでこちらの本を購入。古本を探さずに家で買える時代最高。
副読本的に一気に読んで解像度をあげたのですが、これ他の文学者シリーズの舞台でも同じような本が出ているみたいなんですけど、当時の井上ひさし人気に思いを馳せてしまいます。ものすごい豪華なパンフレットというかんじ。今回のパンフレットに掲載されている井上ひさしのエッセイも収録されていました。ここのところよく考えている読むときの音というものについての記述がやはりありました。
太宰はいつも、こういった日本の語り物のもつ独特の文法に則って考えを進めていた。文章を書くときの彼の耳にはいつも、日本の語り物の旋律やリズムが聞こえてもいたのです。
口承文芸を語り物とするという前提で太宰と落語との繋がりをふまえ、井上ひさしはこう書いています。近代散文においての太宰、そしてその語り口の豊かさと言えば井上ひさしも例にあげていますが『駆込み訴え』も『女学生』も、本当にすばらしいんだよなあ。『駆込み訴え』っぽいシーンは劇中にも。
『父と暮せば』のときに井上ひさしが書いていた「舞台の機知」についても改めて考えてしまった。舞台の機知があるなら、映画の機知もあり、だとすれば小説の機知も、マンガの機知も、ゲームの機知も、物語を語るありとあらゆるメディアにはそれぞれの機知があるはずだ。
おまけの読書記録。『国ゆたかにして義を忘れ』。井上ひさしとつかこうへい、同じ年に同じ病で死んだふたりの対談集。
元は昭和60年発行のものが文庫化している1冊なんですが、この文庫を読む限り情報はそれだけで、せめていつ対談だったのかくらいは書いて欲しかった。三浦和義とか語られてるしね。さておき井上ひさしとつかこうへいの女性に対する考え方は時代を鑑みると情状酌量の余地があるはずなんですが、すごくアレなので「ハッハッハ、死ね」みたいな気持ちになります。まあ知ってたけど。ただこの本が発行されたのがおよそ35年前と思うと、半分以上は色あせないことを語っているので、本当におもしろいし、最近忠臣蔵を若者が知らないなんて話がありましたが、その忠臣蔵についてふたりが語っていることも興味深かったです。『つか版・忠臣蔵』の流れもあったのかなあ。
どうでもいいですが、井上ひさしが「千円札用の切符販売機なのに小銭で買ってるヤツむかつく!」みたいな話をしていて、私もこないだ電子マネー系の自販機で同じようなこと思ったので仲間! ってなりました。小さい。