『人間合格』

 紀伊國屋サザンシアターこまつ座の『人間合格』(公式サイト)。『日本文学の旅』『銀ちゃんが逝く』に比較すると1番コロナ対策がゆるかった印象。でもこの『人間合格』ってコロナ禍前にチケット販売しているし、再販も厳しい客層だろうし、仕方ないところもあるし、その中ではなんとか対策をしていたと思います。でも年齢層高い=リスク高いのにな……。ちなみに会員以外の客は対策として入場後に座席番号と住所氏名を書かされました。

 あーでも書いちゃうけど、劇中で演者が変装のために他の演者がつけていたマスクをつけるシーンがあって、それはダメでは!? 井上ひさしの脚本そのままだとしても今はダメなのでは!? という気持ちでいっぱいになりました。あれ本当は違うマスクだったりしたのかな……。『日本文学の旅』と『銀ちゃんが逝く』ではある程度演者同士のソーシャルディスタンスにも気を遣っていただけに、うーん。

 しかし井上ひさしはすごいなあ、そうかこういう風に太宰治を描くのか。出演者も全員すばらしいお芝居でした。あと津軽の歌が最高だった。とはいえ今を感じさせる芝居という印象ではなく、おそらくいつもどおりでそれはそれで愛しい。帰宅してそのままAmazonでこちらの本を購入。古本を探さずに家で買える時代最高。

太宰治に聞く

太宰治に聞く

 

  副読本的に一気に読んで解像度をあげたのですが、これ他の文学者シリーズの舞台でも同じような本が出ているみたいなんですけど、当時の井上ひさし人気に思いを馳せてしまいます。ものすごい豪華なパンフレットというかんじ。今回のパンフレットに掲載されている井上ひさしのエッセイも収録されていました。ここのところよく考えている読むときの音というものについての記述がやはりありました。

太宰はいつも、こういった日本の語り物のもつ独特の文法に則って考えを進めていた。文章を書くときの彼の耳にはいつも、日本の語り物の旋律やリズムが聞こえてもいたのです。

  口承文芸を語り物とするという前提で太宰と落語との繋がりをふまえ、井上ひさしはこう書いています。近代散文においての太宰、そしてその語り口の豊かさと言えば井上ひさしも例にあげていますが『駆込み訴え』も『女学生』も、本当にすばらしいんだよなあ。『駆込み訴え』っぽいシーンは劇中にも。

父と暮せば』のときに井上ひさしが書いていた「舞台の機知」についても改めて考えてしまった。舞台の機知があるなら、映画の機知もあり、だとすれば小説の機知も、マンガの機知も、ゲームの機知も、物語を語るありとあらゆるメディアにはそれぞれの機知があるはずだ。

 おまけの読書記録。『国ゆたかにして義を忘れ』。井上ひさしとつかこうへい、同じ年に同じ病で死んだふたりの対談集。

国ゆたかにして義を忘れ (河出文庫)
 

  元は昭和60年発行のものが文庫化している1冊なんですが、この文庫を読む限り情報はそれだけで、せめていつ対談だったのかくらいは書いて欲しかった。三浦和義とか語られてるしね。さておき井上ひさしとつかこうへいの女性に対する考え方は時代を鑑みると情状酌量の余地があるはずなんですが、すごくアレなので「ハッハッハ、死ね」みたいな気持ちになります。まあ知ってたけど。ただこの本が発行されたのがおよそ35年前と思うと、半分以上は色あせないことを語っているので、本当におもしろいし、最近忠臣蔵を若者が知らないなんて話がありましたが、その忠臣蔵についてふたりが語っていることも興味深かったです。『つか版・忠臣蔵』の流れもあったのかなあ。

 どうでもいいですが、井上ひさしが「千円札用の切符販売機なのに小銭で買ってるヤツむかつく!」みたいな話をしていて、私もこないだ電子マネー系の自販機で同じようなこと思ったので仲間! ってなりました。小さい。