WE ARE Perfumeを見てきた

 それもわざわざ本厚木まで行って。

 公開期間中に都心で見なかったのは、その頃ちょっと精神的に参っていて、心を動かすことがしんどそうだったからだ。その上で東京ドームでも武道館でも横浜アリーナでも、なんならポリリズムのサンシャイン噴水広場でも泣いてきた私なので、とにかくちょっとしんどそうだな、と思ってしまったのだ。

 そんで見た。一番の感想は「相変わらずだなあ」というかんじだった。本当に相変わらずだった。あの頃となんにも変わらずに、でもはるかにプロフェッショナルで、きれいなお姉さんになった3人がそこにいた。「相変わらずだなあ」と思いながら泣いてしまった。「すごいなあ」って。本当にすごい。本当にすごいなあ。

 私が初めて彼女たちに出会ったのは彼女たちがまだ中3の頃だった。亀戸サンストリートも今はもうないんだっけ。とにかくそういう小さなステージに3人がいた。今見れば垢抜けない女の子たちなんだけど、踊りが本当にすごくて、キレッキレで、機械仕掛けのお人形さんみたいだった。出会ってから1年くらいして、2005年1月に取材の機会があった。もう10年前の話だからしてもいいよね。

「ザ・プレイステーション 400号」で「どこでもいっしょ」のトロたちとグラビアに出てもらったのだ。ちなみにこのザプレは最終号で、特別なグラビアだった。当時のトロは「めざましテレビ」にレギュラーを持っているような存在だった。そしてPerfumeはメジャーデビュー前。そのトロというアイドルと一緒に出てくれる女の子のアイドルいないかな、という打ち合わせで、私はカバンの中に入っていたチラシを出してPerfumeを薦めた。とんとん拍子に彼女たちの採用が決まり、外ロケメイン、控え室はなんと我が家、という今にして思えばウソみたいな取材だった。取材に挑む彼女たちは、今回の映画で見たときと大して変わらなかった。3人でいればきゃあきゃあと笑い、しゃべり、カメラを向けられれば真剣に対応する。そういう3人だった。

 ライブでもおんなじだ。10年間、Perfumeのライブをずっと見てきた。のっちが振付間違ったところでめっちゃ笑った。相変わらずだ。あ〜ちゃんが感極まっちゃうところも、静かにたたずむかしゆかも、たぶんほとんどおんなじ。でも全然違う。彼女たちが駆け上がった10年、私なにしてきたんだろうってちょっとだけ思いながら、がんばらないとなあって思いながら、でも結局はそんなことどうでもよくなって、とにかく彼女たちが美しくてすばらしくてかっこよくて泣いた。

 すごいね、あ〜ちゃん

ハタチの頃の話

 19歳の3月1日から株式会社メディアワークス電撃PCエンジン編集部でアルバイトを始めた。阪神大震災があった年の春のことだ。なんかコネがあったわけじゃなくて、普通にアルバイト求人誌で見つけて、面接に行った。高校生くらいから小説家になりたいなあ、って小説は書いてたんだけど、小説家になんてなれるはずがないって思って、だったら本関係の仕事がしたいなあ、って応募した。ゲームも大好きだったし。確か同時期に別の編集部にも履歴書送ってるはずなんだけど、そっちは書類で落ちた。

 時は1995年。セガサターン発売が1994年11月、PlayStationPC-FX発売が1994年12月。その翌年だ。そんな時代のゲーム雑誌の編集部なんておもしろいに決まっている。

 当時はまだトラフィックのアルバイトというのがどの編集部にもいた。データでのやりとりがまだできなかった時代、写真やデザイン指定紙やイラストをあちこちに取りに行ったり届けたりするアルバイトだった。それ以外には細かいデータ作成だったり、ゲームのプレイだったり、お茶出しだったり、とにかくそういう雑用をいっぱいさせてもらいながら、いろんなことを学んだ。

 アルバイト開始から20日目に地下鉄サリン事件が起きた。職場はお茶の水だったから、駅前は騒然としていた。

 そんな中でハタチになった。ハタチになったときのことは全然覚えていない。でもとにかくそういう編集部で働き始めて3ヶ月後にハタチになった。編集部で『エヴァンゲリオン』の初回放送をみんなで見た記憶とかある。あれはハタチの秋なのか。

 あの頃の私は今以上に使えなくて、しょうもなくて、でもとにかくたくさんの人に愛してもらった、と思う。今でもおつきあいが続いている人たちがいるのがすごい。本当にありがたい。私みたいなのを見捨てずに、途切れた時期があっても20年つきあってくれている人たちがいるってすごい。感謝しかない。

 そういや恋もしたね。バカみたいだったね。今も相変わらずだけど。

 結局メディアワークスには業務委託社員時代を含め全部で3年間お世話になった。19歳から22歳までの3年間だ。その3年間は私の宝物だ。いろんな人に迷惑をかけて、怒られて、でも愛してもらって、たくさん勉強をさせてもらって、いっぱい挫折した3年間。

 あの3年がなかったら、今この仕事は間違いなくやっていない。

 そして、私は東京を捨てて、というか逃げ出して、別のところに行っちゃうんですけど、それはまた別の話。

今週のお題「20歳」だったんだけど投稿タイミングずれちゃった!

華麗なる逆襲

 発端から10日とすこし。スマスマから1週間。ずっと考えている。

 当初よりも報道は静かになったし、考える時間もできた気がする。

 SMAPは終わらないアイドルだと私はずっと思っていた。そう思って勝手に安心していた。でも普通に考えたら、6人の男の子が10代から25年以上一緒にいて、仕事して、それでひずみが出ないなんてことはありえない。だから1人いなくなったし、他にもいろんなことがあった。ずっと一緒にいて、そのまま40代になって、それでトラブルが起きないなんてことはきっとありえない。他のグループだってきっとなんらかのひずみはあるのだろう。その発露が今回の騒動なのかもしれない。

 彼らがSMAPでいる必要ってなんなんだろう。国民的アイドルっていったいなんなんだろう。この事件で私が感じたのは、私たちファンが思っているよりもはるかにSMAPはみんなに愛されているということだった。それを多分事務所は侮ったのだろうし、もしかするとSMAP自身も侮っていたのかもしれない。

 騒動は終わってない。水面下でなにかが蠢いている。

 ずっと「華麗なる逆襲」が始まればいいと思っている。それをできる限り応援したいとも。

 こういうときSMAPの歌はどんな状況にだってあてはまるってのも、新たなる発見だった。喜びも悲しみも勇気も絶望も彼らは歌ってきた。

 会見直後、私は『Triangle』の歌詞を思った。2005年の紅白歌合戦で歌われた曲だ。「未来の世界を愛せないよ」と。そして「構えた銃は他でもなく僕らの心につきつけられている そう、怯えるキミの手で」と歌は終わる。ファンの応援が、背中から銃口をつきつけられている彼らに、前からも銃をつきつけてしまったのではないかと思ったのだ。だってあんな顔、見たくなかった。あんな顔をさせてしまった一因はファンにもあるんじゃないかと思ってしまったのだ。それくらいショックだった。

「エンタテイメントの力を信じている」という彼らの言葉を私は繰り返し口にしているけれど、もしあの会見でさえエンタテイメントだというなら。そんなエンタテイメントクソみたいだけど、それがこれから始まる「華麗なる逆襲」の始まりだとするなら。

 香取慎吾はかつて27時間テレビでこう言った。「テレビの嘘が最高に楽しいです」と。その言葉を今思い出す。

 そしてSMAPの54枚目のシングル『華麗なる逆襲』はこう歌う。

「どんな逆境だってたのしんでしまえ さあ 面白おかしく俺は勝ち逃げするよ」 

 

モンブランってすごい

 さて、ちょっと気分転換みたいな文章を書きます。リハビリみたいなものです。準備運動というか。

 モンブランってケーキじゃなくて、AV女優でもなくて、筆記具です。先日大量に赤字をいれなければならない仕事が発生しまして、普段使いはハイテックCコレトなんですね。途中で腕が疲れ始めまして、そういえば我が家にある一番書きやすい筆記具ってなんだっけ、となってモンブランを使ったら本当に書きやすくてびっくりだ!

 知ってたよ! 知ってたとも! モンブランが書きやすいなんて話は知ってた! なんなら多分世界中が知ってる! でもあまりの筆の滑りにびっくりしちゃって、ハイテックCコレトとは別に持ち歩くことにしました。というか使ってあげないともったいない。この書き心地、本当にびっくりするからみんなに体験して欲しい。マジで。

 私が使っているのはボールペンではなくてローラーボールという水性のもの。ボディはボエムマロンとボエムルージュでマロンには黒、ルージュには赤が入っています。

www.montblanc.com

www.montblanc.com

 これがモンブランのペンケースの中に入っているので、セットにするとたぶん普段持ち歩いているもので一番お高いです。ちょっと自慢っぽいよね! 自慢だ! いやしかし高いものには高い理由があるんだねえ。当たり前だけど。ちなみに名入りなので盗んでもなんの価値もありません。

 以前「THE SMAP MAGAZINE」(2010年)で「バッグの中身拝見!」って記事があって、草彅さんの荷物の中にモンブランのペンケースが入ってた(多分私と同型のもの)んですけど、草彅さんが「肝心のブランド名は忘れちゃったな〜」って書いてあって、ほんと草彅さんらしいな、と思いました。ロゴ入っとるがな! 今SMAP関連のお客さん多いだろうから、書いとくね!

 さらにどうでもいい話するけどこの「THE SMAP MAGAZINE」のアートディレクターさんはA.B.C-Zの「Twinkle×2 Star Tour」のパンフレットのアートディレクターさんでもあるよ! これ豆な!(スタッフ欄をチェックするタイプのおたく)

お題「お気に入りの文房具」

悲しみすべて街の中から消してしまえ

「エンタテイメントの力を信じている」人たちが、今までいっぱいの希望と笑顔をくれた人たちが、あんな顔であんな風にあんなことをバラエティ番組でさせられる、まるで公開処刑のようなそれに暗澹たる気持ちしか抱けない。あれもまたエンタテイメントだというのか。後輩たちの未来にも絶望する。それでも私たちは待つしか出来ない。つかれた。

 笑顔抱きしめ悲しみすべて街の中から消してしまえ 

オリジナルスマイル

オリジナルスマイル

 

 

終わらないアイドル

 1/14付のオリコンデイリーチャート10位以内にSMAPが2枚入っていて、100位以内に8枚入っている、というニュースをきっかけに昨晩ひとりでものすごく泣いてしまった。この件で泣いたのは初めてだった。

 解散、というものやアイドルが終わるものだということ、そういうことはわかっているつもりで、でも全然わかってなくて、だってSMAPは終わらないアイドルだと思っていた。終わらないアイドルという不幸、ってタイトルでSMAPについて昔書いたことがあるくらいだ。

 そんな話はさておいても、駅のキオスクが、なんならNHKが、街の会話がたたみかけるように攻撃してくる。攻撃じゃなくて応援なのかもしれないけれど、でもしんどい。こんなにマスコミが、インターネットが、世界がしんどかったの東日本大震災以来ではないか。いや比較したらいかんのだけど、私の参りっぷりとマスコミの一斉報道っぷりはそのレベルだと思う。

 誰だかわからない関係者談の憶測の記事ばかりの中で、一部の人たちがこの騒動が今の芸能界に風穴をあけてくれるのでは、という言葉も見て、そうなったらいいなあって本当に思う。

 くだらない芸能の話だと思ってるでしょう。でもそれは私の大好きなものなんです。本当に大好きなんです。ずっと大好きなものなんです。

 あの頃の未来、俺たちに明日はある、分け合う夢、引き上げろ、またやろうぜ!

 とにかく私たちは待つしかないのだ。待つだけだ。

 

Otherside/愛が止まるまでは (通常盤)
 

 

SMAPは人生

SMAPは人生。

ということを冗談でよく言っていたし、Tweetしたけど、よく考えたら冗談でもなかった。

中2のとき、定期入れにSMAPのカードか切り抜きが入ってた。当時スケートボーイズかもしれない。もはや記憶は不確かだ。記憶は嘘をつくけど、でも中2なことはたぶん間違いないと思う。ちょうどテレビに出始めた頃でまだJr.だった。VHS録画に『歌のビックファイト!』が残っていた20代の記憶はあるから、多分大丈夫だ。間違ってない。あの頃はコンサートなんて行けなかった。STOP THE SMAPの初回を聞いた記憶もある。

高校生のとき、初めてコンサートと公録に行った。
初めてのコンサートはSMAPじゃないけど、初めての公録はSMAPだった。
初めての番協もSMAPだ。

初めて作ったWebサイトもSMAPファンサイトだ。
初めてのネットともだちだって作ったのはSMAPファンサイトだ。
初めてネットで叩かれたのだってSMAP関連だ。
初めて年上のともだちを亡くしたのもSMAP仲間だった。
初めての遠征もSMAPだった。
初めて徹夜で並んだのだってSMAPだった。
初めて同じコンサートを何回も見ることを覚えたのもSMAPだった。

森くんが脱退したときから3年くらいコンサートを見てない。1回だけコンサートで彼がいなくなったSMAPを見て本当にしんどかったからだ。その間どこにいたかというと沖縄にいた。SMAP見ないんだったら東京にいなくてもいいやって思ったんだ。東京戻ってきてまたSMAPに行き始めた。

ほかにも思い出はバカみたいにいっぱいある。
そりゃそーだ。中2から26年だ。ずっと見てきた。

まだ解散は確定ではないし、今まで何度だって解散説にふりまわされてきた。たくさんのゴシップ、トラブルと一緒に彼らを見てきた。脱退も結婚も二度の逮捕も、それ以外のいろんなゴシップもいっぱい見てきた。無意味に叩かれるところだっていっぱい見てきた。

私のすべてがSMAPだなんて思わないし、今回のことには憤りが強い。でも私にとってSMAPはそういうものだ。

PerfumeA.B.C-Zには彼らの見る未来を一緒に見たいと思う。でもSMAPには思わない。だってわたしたちはもうあの頃の未来に立っているからだ。

こういう仕事をしていて、私の心の支えのひとつに震災後に彼らが言った「エンタテイメントの力を信じている」という言葉がある。だから私はSMAPを信じている。信じるなんていうなまやさしい状況じゃないのかもしれないけれど、私は彼らが言った「エンタテイメントの力を信じている」という言葉をおそらく永久に死ぬまで信じ続けることだろう。

今はできることをしながら、あのときやそのときのように待つしかないって私たちは知っている。待つしかないのだ、今は。あのときだってそのときだってそうだった。あとはそのあとに決めることだ。

SMAPは人生、は言い過ぎだ。でもSMAPはずっと一緒にいた。これからもいて欲しい。それだけだ。

世界に一つだけの花

世界に一つだけの花