選ぶ選ばれる 6/21

なんとなくいつも自分は選別される側だと思っていたのだが、気がついたらどちらかというと選別する側になっていた。これもまた年寄りになった話である。

もちろん私個人は仕事の場では相変わらず選別されている。その上で大して仕事の能力がないからなかなか厳しい。これは自己評価が低いとかいう話ではなく純然たる事実なので、横においといて、私個人の話ではなく会社の話になると、話は違う。私は一応会社というチームを背負っているため、チームの存続を考えると必要なのはスタッフを選別する能力が必要だ。しかし選ぶこと選ばないことで相手の人生は変わってくる。自分が選ばれたり選ばれなかったりすることよりこの責任は重いなとよく思う。M-1の審査員が悩むみたいなもんである(大袈裟)。

とはいえ深淵を覗くとき深淵もまたこちらを覗いているのだとはよく言ったもので、選ばれる側もこちらを選んでいる。選ばれて選別しているかと思うとさらに責任が増す。選んだからにはなんとかしなければならない。

とはいえ世の中の選ぶ側はどうやって選んでいるのだろう。選ばれる側として考えるとこういう業界なので実績がものを言う。うちは小さな所帯なので、実を言うとそれほど迷うことはない。選んだといってもそこまでの弊社における実績や私との関係値のみが重視される。どちらかというと選んでもらう側面のが強い気がする。それでもその一段階前では選ばねばならない局面がある。

しかし100人採用とかすることになったらどうすんじゃと思う。あるいは100人採用されることになったらどう選ばれればいいのか。となると学歴とか職歴で選別するしかないのか。あるいはポートフォリオや試験か。大きな会社に勤めてなくてよかった。選ぶの絶対きつい。

とはいえ人生とは選んだり選ばれたりの連続で、なんでこんな決めなきゃいけないことがたくさんあるんだと頭を抱える。今日のごはんほんとどうしましょう。