普通という理想 6/20

もはや私は自分があまり普通ではないことを知っているが、普通とは永遠の課題である。そもそも普通とはなんなのかと考えると、世の中に普通なんてものはなく、普通という理想があるだけではなかろうか。

国勢調査による平均値がどこにあるのかは知らないが、その平均値を普通とするのならばさまざまな数値がすべて普通……というか平均値な人なんていないだろうし、私の予想では人々はその平均値よりちょっと上を普通としている気がする。そんなの無理に決まっている。だって平均点だもの。

なぜ平均点を求めてしまうのかというと、それがきっと幸せに見えるからだろう。平均点よりちょっと上さえとっておけば大丈夫というような安心だ。あるいは線路の上を歩いていれば大きく道に迷うことはなかろうという安心か。さらに行政は大多数に向けて行われるものだから、平均点さえとっておけばそれほどひどい目にはあわないはずだという思い込みかもしれない。だとしたら普通を求めるのは間違っていない。だが普通を押しつけるのは平均点を押しつけるようなもので、平均より高かったり低かったりするのが本当は【普通】だろう。

よく若人が自己紹介で「ちょっと変わってると言われます」というのはなんかひとつだけ高得点がありますよというアピールなのかもしれない。しかし平均点とのギャップに悩まされたりする。出る杭は打たれるしね。

ともあれ別の科目で高得点をとっていても平均点をよしとされるなんてつまらなくしんどい世界だな、とは思う。とはいえ世界がそこに照準をあわせて作られているのだとしたら、目指すのは間違っていない。でも平均点が自分にとって幸せかどうかは非常に難しい話だ。

しかし選別される時に平均点はあまり望まれない。なにかひとつは高得点を求められる。矛盾している。すべてに平均点以上を求められても数学が得意だったら国語が苦手だったりするだろと私は思う。生きづらいな!