大塚ギチが死んだ

大塚ギチが死んだ。感想は「そうか」としか言いようがない。ギチが死んだのを知ったのは多分比較的早い方だったと思う。とりあえずその死がどう処理されるのかもわからないし、まだあまり口外できる状況ではない。とにかくギチが死んだ。知らせを受けたその深夜にこの文章は書いている。いつか公開する日のために。人の死を文章にすることに抵抗がなくはないのだけど、これは私のための文章だ。公開することまで含めて私のためだ。書いてはならないことを書くかもしれないが、それは許してほしい。


ギチと親しかったのかと言われると、私よりもっと親しい人たちはいただろう。ただたまに夜更けに電話がかかってきて、いろいろと話をした。それは事故前も事故後も。事故後にふたりで飲むことはなかったけれど、事故前にふたりで飲んだことは何回かあった。事故前、最後に私と飲んだとき、ギチは「ねえ金巻は俺とセックスしないの?」と繰り返し言っており「しねーよ、ばーか!」と何度も返した。「したらこんな話できないでしょう」「そうかあ、そうだよなあ」という会話を酔っ払ったギチとした。


なんのために書くのか、どうして書くのか、書くことに対してギチは無頼であることにこだわっていたように思う。小説が書けるならのたれ死んでもいいのだというようなことを言っていた。

「そんなの不誠実でしょう」

「誰に?」

「君の作品を待っている読者にだよ」

そう言ったらギチは泣いた。


それからべろんべろんに酔っ払って、財布にお金が入ってなかった上に歩いて帰れるような状況ではなかったので、私にお金を借りて帰った。そのお金は返ってきていない。


結局ギチは小説を書けなかった。もはや書けなかったからあんなに酔っていたのかもしれない。


事故のあと、ギチは障害を負った。


事故後の電話でも最後に飲んだ時と同じような会話をした。でも俺書けなくなっちゃった。俺は金巻より才能があるから書き始めたら負けない。でも俺書けないんだよ。書いたら俺はすごいんだけど。だったら書きなよ。書けないんだって。


そしてギチは死んだ。


なんのために書くのか?


ギチは私にはそう言っていた。


待っている読者がいるよ、きっと。


私は繰り返しそう答えた。もはや自分のために書くなんて言葉ではなんの励みにもならないことを知っていたから。


でも本当にもうギチは書けなくなってしまった。


早く死んだ人間には憤りしか感じない。バカだなあ、本当に。


バカだ。

 

君はなんのために書くの?

 

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ベニー松山さんと大塚ギチと。2016年。