「夜空ノムコウ」- SMAPとA.B.C-Z河合郁人さんのこと -

 10/1から10/2にかけてA.B.C-Z大阪城ホールのコンサートに行ってきました。しばらく泊まりがけの遠征を自分に禁じていたので、およそ3年ぶりの泊まりがけの遠征です。

 10/1の夜公演、大阪初日。河合郁人さんがソロコーナーの後半でSMAPの『夜空ノムコウ』を歌いました。イントロが流れ出したその瞬間、私はなにがおこったのかよくわからず、泣き崩れそうになりました。隣の友人が「ちゃんと見て!」と言って私の腕を掴みました。支えてくれました。正直なところ、私はあの瞬間、自分がどんな気持ちだったのか、もうよくわかりません。他のお客さんたちがどんな反応をしていたのかもよくわかりません。私は1月の騒動以降、初めてあんなに泣きました。体の震えが止まりませんでした。泣きながら『夜空』を歌う河合さんを見ていました。途中に河合さんは木村さんの物真似まで入れてちゃんと笑いもとって、歌い終わったあと「僕も偉大な先輩たちのように、スーパースターになりたい!」と”偉大な先輩たち”の名前は出さずにそう言ってフライングをしました。

 10/2の昼公演でも同じように河合さんは『夜空』を歌いました。私はもう泣きませんでした。ただ双眼鏡で河合さんを見ていました。見なければならないのだと思いました。でもその時ほんの少しもう『夜空』じゃなくてもいいのに、という気持ちが過ぎりました。

 そしてこの昼公演でも河合さんは『夜空』のあとに「偉大な先輩たちのように」という言葉を使いました。そこに他の先輩たちが含まれるとしても、そうだとしても、どうしてSMAPという単語を口にできないのか、口にしてはならないのか、そういう歯がゆさも感じました。その名を口にすることも許されないのかとさえ思いました。

『夜空』は特別な歌です。私は1月の騒動以降何度もこの歌の歌詞の中にある「あの頃の未来」という単語を使ってきました。『夜空ノムコウ』は毎年のように出る解散説の中リリースされた曲です。そういう時代でした。あのとき「解散コンサートでこの曲聞くのかな」なんて話したことを覚えています。

 この大阪城ホール公演の前、8月の代々木体育館のコンサートで河合さんは同じコーナーで違う曲を歌っていました。その中にSMAPのデビュー曲である『Can't Stop!! -LOVING-』の振付をいれるという小さな遊びもありました。

 そのコンサートの翌々日深夜にSMAP解散が発表され、あの8月と今この10月で少なくとも私にとって世界は変わってしまいました。

 私はとても不安でした。今だって不安です。大好きなものを囲む世界への不信感、彼らの後輩であるA.B.C-Zを今までと同じように愛せるのかさえ不安でした。『夜空』の直前、河合さんは『S L BOY』(うたまっぷ歌詞無料検索)というちょっと自虐的な曲を馬のハリボテに乗って頭にパトランプをつけて歌っています。とても楽しいソロコーナーです。代々木ではその後も楽しい歌でした。『夜空』が歌われるまでコンサートはとても楽しくて、大丈夫なんだと安心していました。でも1日目の『夜空』のあと急にすごく不安になりました。だから、楽しい曲を聴きたい気持ちがありました。楽しくコンサートを終えたかったのです。

 10/2の夜公演。A.B.C-Zのコンサートツアーのオーラス。河合さんはまた『夜空』を歌いました。前の2回と同じように「僕も」と言ってから一呼吸あったような気がしました。そのあと彼ははっきりと「SMAPのようにスーパースターになって大きく羽ばたきたい!」と言ってフライングをしました。

 彼は「SMAPのようになりたい」と今このときコンサートではっきりと言ったんです。

 

 A.B.C-Zは私がSMAPのあとに初めて大好きになったジャニーズのグループです。普通の人よりもジャニーズ所属の他のグループのことは好きだとは思います。でもSMAP以外の若手のジャニーズグループを大好きになることなんてないと思っていました。好きになったのは本当に突然でした。

『ザ少年倶楽部』というジャニーズの若手が出演しているNHK BSの番組の公開収録にKis-My-Ft2ファンの友人とたまたま入る機会がありました。2012年7月2日のことです。そこには他の若手グループも出演していました。私はその瞬間までA.B.C-Zがどんなグループかもよく知りませんでした。その年にDVDデビューしたばかりということくらいの知識しかありませんでしたし、私は河合さんの名前さえ知りませんでした。なのに本当にまるで恋に落ちるように、どうしてなのかもわからないままに、彼のファンになったのです。彼を見た瞬間、隣にいた友人に「彼は誰!?」と聞いたほどでした。そしてその夜からA.B.C-Z河合郁人という人のことを必死に調べました。

 そして彼が事務所内ジャニオタと呼ばれていて、SMAPのファンであること、そしてジャニーズの先輩たち(特に木村さんと松本潤さん)の物真似をすること、木村拓哉に憧れて事務所に入ったことを知りました。

 それから怒濤のA.B.C-Zオタ生活が始まりました。8月には『SUMMARY』と呼ばれるコンサート(のようなもの)に、9月には『少年たち』という舞台に行きました。どちらもA.B.C-Zの5人が全員出演しているステージです。彼らのステージは本当にすばらしいものでした。どんどん好きになっていきました。そして、アラフォーになって初めての経験をいくつかしました。夜行バス遠征も、チケット交換で知り合った人と公演後にそのまま盛り上がって2人で飲みに行くというのも実は初めてでした。濃いめのアイオタとして生きてきたつもりなのに、まだこんなにもやっていないことがあるのかと思いました。

 そんな中迎えた2012年9月27日のSMAPの東京ドームでのコンサート。初めて河合さんを好きになってから3ヶ月くらいの、ファンとしては一番盛り上がっている時期。その日私も東京ドームにいました。そしてA.B.C-Zの5人もそのコンサートを見学に来ていました。ちょうど双眼鏡で私がそれを確認できる位置に彼らはいました。河合さんはコンサート中ずっと楽しそうでした。本当に楽しそうでした。

 コンサート後半、香取さんが「A.B.C-Z!」とステージに彼らを呼び込みました。曲は『オリジナルスマイル』。その時一番大好きなアイドルと、ずっとずっと好きなアイドルが同じステージの上、笑顔で立っていました。そこで河合さんは木村さんに肩を組んでもらって、それがモニターに大写しになりました。河合さんのあの表情。幸せそうでした。見ていた私も幸せでした。それはとても特別な瞬間でした。見ていた私はやっぱりあのときも震えていました。

 

  あれから4年が経ちました。その間、A.B.C-Zと河合さんをいっぱい見てきました。友だちも増えました。ちょうど年齢差はSMAPのコンサートに一緒に行く友人たちと同じくらい。SMAPのとき私は年下組で、A.B.C-Zのときは年上組です。なんならSMAP仲間とA.B.C-Z仲間が親子でもおかしくないくらいの、その真ん中に私はいます。

 8月のコンサートから演目を変えて河合さんが歌った『夜空ノムコウ』。そして歌い終わったあとに「SMAPのようにスーパースターになって大きく羽ばたきたい!」と彼がはっきりと言ったことを私は絶対に忘れません。事務所の後輩でもあり、SMAPファンでもある河合さんの心中が今どんなものなのかなんて私にはわかりません。「偉大な先輩たち」と名前を出さなかった2公演、そして「SMAP」と名前を出した最終公演。そこにどんな気持ちがあったのかなんてわかりません。

 彼が「SMAP」という単語を口にした瞬間、私は苦笑いをしていたと思います。「しょうがないなあ」とか「バカだなあ」とかそんなのが一番近い気持ちだった気がします。それは同時に大阪初日に『夜空ノムコウ』を聞いた瞬間に泣き崩れた自分への気持ちだったのかもしれません。

 

  ねえ河合さん、本当にありがとう。大阪のコンサート、行ってよかった。もうちょっとなんとかやっていけそうだよ。河合さんを好きになってよかった。だからさ、A.B.C-Zのもっと先の「あの頃の未来」を見せてよ。私東京ドームか新国立競技場の最後列で泣きながらそれを見るからさ。頼むよ。