猫の血栓症の話 / シロ闘病記

 うちの猫シロの具合が悪くなったのは5月27日深夜のことだ。それから今日で4週間。今、シロはとりあえず元気だ。

 タイトルは猫の血栓症としたが、正確には「大動脈血栓塞症」というらしい。この病気は猫の下半身の大動脈(腰の付近にある両足に血を送る血管が二股にわかれている場所)を血栓が塞いでしまう病気で、若年の猫でも発症し、下半身が麻痺してしまう。もちろんほかのところに血栓が詰まることもある。数日内に70%が死亡。予後も悪く、生き延びた30%のうち半分が30日~60日前後で死亡。再発率も高い。また麻痺した下半身が壊死し、切断を余儀なくされる場合もあるという。(「三鷹獣医科グループ・新座獣医科グループ」ホームページ:猫の大動脈血栓栓塞症 アイリスオーヤマ:猫の病気:猫の血栓塞症 などを参考に、私が医師から聞いた話などで補足)

 シロは若い頃に心臓が悪いと言われたことがあった。しかしそのまま今年16歳になる。5月の中旬に私は引っ越しをしている。猫にとって引っ越しはストレスだ。特に老猫にとっては、かなりのストレスだろう。引っ越しをしなくても発症したかもしれないしそうでないかもしれない。

  • 5月27日 深夜0時頃仕事から帰宅。玄関にやけに猫の毛が散らばっていたことを覚えている。そのまま部屋に入ったら猫トイレでシロがうずくまってにゃーにゃー鳴いていた。(帰宅後気がついたが、床にオシッコをされていたり、カーテンに爪痕が残っていたり、という苦しんだことが推測できる状況だった)抱き上げると下半身がブランと動かない。そして冷たい。即救急の獣医を検索しタクシーで連れて行く。病院に到着したのは深夜1時頃だろうか。検査で病名を告げられる。獣医の診療報告書によると「股動脈圧は左右とも触知できず、レントゲンでは心拡大は見られるものの、呼吸は安定しており鬱血兆候はありませんでした」とある。この時点で後ろ足は完全に麻痺し、肉球は紫色だった。治療について説明を受ける。クリアクターという薬剤があり、高価だが血栓溶解の可能性があるという。投与は早期であればあるほど溶解の可能性が高いが、溶解した場合再灌流障害(止まっていた血液が急に流れることによる障害:「テレビなどでクラッシュ症候群について見たことはありませんか? それと同じです」という説明を受けた)が発生し、死に至ることもあるという。投与しない場合は、通常の薬投与となるがどうしますか、と聞かれた。少し悩んでクリアクターの投与を選択。シロはそのまま入院となる。
  • 5月28日 面会。容体は安定しているが、食事は取らないそう。診療報告書によると「昼あたりには左の股動脈が若干触知できるようになり、夜にはしっかりと触知可。右は触知不可」と記載されている。
  • 5月29日 退院。というのもこの病院は基本的に救急医療病院であり、治療費も割高(と先生が言った)なため、かかりつけの獣医への転院を入院時から推奨されていた。診療報告書とエコーとレントゲン写真の入ったCD-Rも渡してくれた。点滴の針は入ったままがいいでしょう、と針とエリザベスカラーをつけたまま帰宅。シロはぐったりとしている。食事も取ってくれない。下半身はほぼまったく動かない。シロがいるソファの横で寝る。おしっこに関してはそのままソファで垂れ流し状態だったのでペットシーツなどで対応。
  • 5月30日 資料を持って近所の獣医に連れて行く。薬をもらい、いろいろ相談。1週間後の血液検査の結果でだいぶ予後が変わるとのことだった。エリザベスカラーも外していいとのこと。しかし点滴の針は万が一に備えて入れたまま。嫌がったら外してくださいとのことだった。そして夜から私が発熱してしまう。猫が倒れて飼い主倒れてどうすんだという話もあるが、限界だった模様。
  • 5月31日 シロは相変わらずほとんど食事をとらない。食べるならなにを食べさせてもいいと言われたので、高齢猫用のパウチのウェットフードをあげたらちょっとだけ食べた。おしっこはまだソファ。というかソファからほとんど動かない。水をいっぱい飲んだ。この日私はシロの隣でほぼ完全に寝込み、連絡がつかないというワヤをやる。その上シロの具合も悪かった。妹に「ダメかもしれない」とLINEをしている。そう思いながら翌日は絶対に外せない時間拘束の仕事があるため、覚悟を決める。
  • 6月1日 初の長時間外出。帰宅して真っ先にシロの顔を見て安心する。さらにこのとき、左足が動くようになっていた! 動いた! ちょっとだけ安心してさらに打ち合わせに外出(つまり都心に1度出て自宅に戻り、もう1度都心に出た)。そしてこの夜、突然ものすごい食欲(といっても通常よりは少ない)をシロが見せる。
  • 6月2日 左足は動くようにはなっている。足を引きずって部屋の中を少しうろうろしはじめる。この日、シロと全然関係ないちょっとしたことで泣いてしまい、自分が予想以上に弱っていることを知る。
  • 6月3日 ためしに食後にトイレに連れて行くと、下半身を投げ出した状態ではあるが、そこでちゃんとすることが判明。おまえできるやつだな! 私は完全に不眠状態だったので、シロの隣で寝るのをやめる。とはいえ眠りは浅い。目覚めてはシロの様子を見に行く。
  • 6月4日 獣医。麻痺している右足の先端と身体の血液成分がほぼ同じなため、右足にも血が通っており、壊死はなく、全体的な血液数値も大幅に回復。ただし心臓内には別の血栓が留まっており、下半身の麻痺も回復するかどうかわからない。体重も減少。点滴の針は外れた。足を少しリハビリさせてもいいかも、とのこと。つまり予後がそこそこいいということだった。油断せずに行きましょうとの話。次の通院は2週間後。ここでようやく少しだけ安心した。板の間より歩きやすいだろうと購入したラグが到着。結果的にラグは正解で、あちこち動き回るようになる。このへんで尻尾も動き始める。

 これが大体発症から10日間の話だ。リハビリは足の屈伸的なものをゆっくりやっていたのだが、シロには非常に嫌がられていた。また薬は当初シリンジで直接口に与えていたのだがこれまた本当に嫌がり、ふと匂い強めの高齢猫用ウェットフードに混ぜたら食べることが判明したので、今までの苦労はなんだったんだ……となった。

  • 6月12日 今までずっとトイレに運んでもらっていたシロが突然自分でトイレに行き、ひとりで用を足す。めっちゃビックリする。しかしまだこの頃は食後にトイレに運ぶミッションをしていた。また右足は根元から麻痺ではなく、先端部分(後ろ足の肉球手前の関節より後ろ)だけが麻痺している程度にまで回復。
  • 6月13日 突然階段を降り始めるのでビビる。昇るのはできない模様。私が確認した限りではその後1回しか階段降りにはチャレンジしていない。
  • 6月16日 獣医で自分でトイレに行きましたと告げたら「エッ?」と聞き返され、ここまでの回復は非常にレア、と言われる。これは本当にうれしかった。途中薬を取りに行く必要はあるが、次の通院は一ヶ月後でいいとのこと。

 そして今日で発症から4週間。シロは元気だ。右足は引きずっているけれど、トイレも完全に自分で行くようになった。食事は食べるときも食べないときもあるが、もともとムラっ喰いの猫だったのでそれほど心配はしていない(獣医に相談したら薬は最悪半分飲めればと言われている)。ついでに言うとチキンのパウチは嫌いということがわかった。

 治療に関して言えば、これは勝手な判断だが、クリアクターの投与がおそらく明暗をわけたのではないかと思う。治療に関して検索したとき、このクリアクターの投与とその値段に迷いを書いている人がいた。クリアクターは高価な上にリスクも告げられるし、正直私も投与を少しためらった。通常の獣医より割高です、と説明された救急センターで私がクリアクターのみに支払った額は75000円。検索では5万円からそれ以上、という価格が出てきた。ちなみに救急センターには2泊3日の入院でクリアクター代含めて大卒初任給くらいの額を支払った。

 生き物と暮らすということは、その死と向き合うということだ。しんどい4週間だったことは間違いなく、あちこちに迷惑をかけまくった。いやこれは現在進行形か。別れへの準備の時間をくれたのかもねと友人に言われて、本当にその通りだと思った。今もきっとその準備期間なのだろう。生き残った猫のうち半分が30日〜60日で死んでしまうというその60日を超えてもいない。もしかしたら1時間後にシロは動かなくなってしまうかもしれない。でもそれは他の猫だって人間だって同じ事だ。

 いろんなことをネットで検索した。同じ病気の猫の闘病日記は正直読んでいてつらいものが多かった。読んでよく泣いていた。闘病日記どころか、数日で死んでしまった猫の話もたくさんあった。安楽死の話もあった。4週間前のこの時間シロは緊急入院していた。でもシロは今わたしの隣でのんびりとしている。苦しそうな様子はまったくない。

 シロの病気についてちゃんと書いておかないとなあ、と思ったのは私がとにかくネットの記事に絶望したり希望を抱いたりしたからだ。同じ病気になった猫を飼う誰かの助けに少しでもなりますように。そしてネットに闘病日記を書いてくださったどこかの猫飼いさん、本当にありがとうございました。

https://www.instagram.com/p/BG_LTeIp-vm/

晴れてきたねえ、と話しかけたら、鳴いた。#cats

 

追記:検索でいらっしゃる方がたくさんいるので、追記しますと、この年の12月までシロは生きました。発症から約半年です。足を引きずっていたのは夏くらいまで(このとき足カバーとして包帯だけではなく、100円ショップで売っている家具用の足カバーを使っていました)。その後は普通に動き回るようになり、最期まで足を引きずることはなく、トイレも自分で行っていました。