ある晴れた日に

 もうあれから5年も経つのか。もう5年なのかまだ5年なのかもよくわからない。

 あの日から約50日後、私は宮城に行った。青空の広がるいい天気の日だった。その時のことを書いた文章を非公開になっていたblogから公開にした。(7)と番外編の間に2013年3月11日の記事も挟まっている。番外編はおたくの神様の話というか、2011年4月の観劇でおきたちょっとした奇跡みたいな話をしている。

lie800.hatenablog.com

 後日談としては、相変わらず彼女とは友人で、一昨年秋、ご実家から震災後初めて取れた新米を送っていただいた。昨年秋にも送っていただいた。私の貧弱な舌では震災前に送っていただいていた新米と同じ味なのかどうかはわからない。でも相変わらずうまい米だ。

  これも後日談のひとつだろう。(公開は本人に許可とってますよ!)

 しんどかったことや悲しかったことはあとで笑い話にできるといい。そこには深い悲しみや苦しみがあるけれど、それでも笑えることはとても幸せだ。このTweetの話を笑っていいのかわからない、と言われたことがあるけれど、私は一緒に笑えばいいと思う。そしてそれを思い出話にできることもきっといいことだ。忘れてはならないけれど、忘れたっていいんだ。でもたまに思い出す。当事者じゃない私たちは、心の片隅に置いておいて忘れない。そういうことがあったということを忘れない。

 震災の翌日、私はこうTweetした。

  あのときのこれは今思えば自分自身に向けた言葉だった。もうひとつ、冒頭にも書いたが、震災から2年後の2013年3月11日に書いた文章も公開してある。

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 どうもあの日のことを思い出すと私の肩には力が入ってしまう。いや文章にだって力が入ってしまう。この記事から3年経っても震災関連の番組は見られない。

 今年も3月11日14時46分がやってくる。

 時間はあの瞬間からずっと続いている。今も仮設住宅で生活している人たちがいる。3月11日付近だけそのことを語っても仕方ないと憤る人たちもいる。でも語らないより全然いいと思う。祈るだけでは伝わらない思いを伝える努力を忘れないように、と今も思う。忘れないように。私が思うのはそれだけだ。