木の芽時の読書

 木の芽時とはよく言ったものでしばらく具合がよくない。甘く密やかな眠りに似たものとして死が誘惑してくる。

 よくないなあと思いながらTwitterを見ていたら、雨宮まみの話が流れてきて、あれからなんとなく積んだままだった『自信のない部屋へようこそ』を読み出した。本当はこういうときに死んでしまった人の本を読むのはよくないのは知ってるんだけど。この本の表紙に載っているパキラは今我が家にあるんだけど全然様子が違う。引き取ってきたときの様子とも全然違うので、やっぱり植物は難しいんだななんて思いながらぼんやりと読む。まあどんなこと言ったって死んでしまったらダメなんだよなあって、そういうことも思う。そして悲しいような悔しいようななんとも言えない気持ちになる。かつて雨宮まみに我が家のインテリアをほめてもらったことがあったなあとか。そういやこの本、表紙に猫がいるんだな。

 それからもう1冊友人の著作シリーズで積みっぱなしになっていた『バッド・フェミニスト』を読む。いや正確には著作じゃなくて、友人の翻訳なんだけど。これはまだ途中なんだけど、やっぱり女性の生き方の話で、こう言ったらなんだし、比較するのもおかしいけど、雨宮まみのものよりも、近しい気持ちがしたし、勇気が出た。まあロクサーヌ・ゲイは死んでないしね。著作と作者は関係ないというけれど、こういう生活のことを書いたエッセイ的なものは著作と作者には密接な関係があって、それはもう仕方ない。フェミニストという単語や存在に関する拒絶みたいなものについても、冒頭に丁寧に意図が書かれている。そしてタイトルにフェミニストと含まれているが、フェミニズムの話ではないし、しかしフェミニズムの話をしている。バッド・フェミニスト!!!!! ってなんとなく「!」をいっぱいつけたくなった。

 読書してる場合でもないだろ、とは思うんだけどまあそんなかんじです。

自信のない部屋へようこそ

自信のない部屋へようこそ

 

 

バッド・フェミニスト

バッド・フェミニスト