アイドルと狂気と諦念と憶測と

 1月からここ半年くらい、ファンの人たちの狂気をずっと見ていた。いやその狂気というか狂乱はまったく終わっていないのだけれど。

 インターネットは愛を狂気にし、狂気を狂喜にするのがとても容易で、あっという間にみんな狂っていく。第一報から24時間私はインターネットもテレビもなにも見なかった。ノイズもそうだけど、その狂気にあてられないようにすることの方が大事だった。こわかった。未だそこには狂気がいっぱいだ。

 そもそもファン活動であるとか、オタ活動は狂気に満ちているもので、一方でそれは自覚を持って狂気に突っ込んでいく、みたいなところがある。私だって常に狂気に魅入られているし、今の自分は狂気に満ちている、と思う。1月の私だって完全に頭がおかしかった。ベースとして私は普通の人より少し頭がおかしい自覚があるのだが、でも今回の騒動で狂気に魅入られてしまった人たちは、そうじゃない。その上で狂気を完全な正義だと思い込んでいる。自分が狂っているなんて思ってない。愛は狂気とはよく言ったものだけれど、憶測だけでなぜいとも簡単にそんなことができるのか、同じ事を言っている人がいるという、あるいは思った人がいるというだけで加速していくネットの相乗効果は本当にこわい。

 これって多分政治の話とかでも同じで、こうやって人は狂っていくというのを見せつけられた気がする。いつどこで同じ狂気に魅入られてしまうかわからない。そういえば東日本大震災のときだってそうだった。

 

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 ねえ、私の狂気の話をしようか。20年以上彼らを見てきた私が今思っていることの話をしようか。私が今考えている憶測と陰謀論に満ちた話をしようか。怨嗟を連ねようか。事実と虚構と噂話と思い込みがないまぜになった話をしようか。

 でもそんなことをしてなんになるというのか。事実が知りたい、彼らの口から話が聞きたい、じゃあ1月に彼らの口から話されたあの言葉はなんだった? 事実だった? 知りたい事実だった? ねえ、本当にそうだった? 事実なんてどこにあるの。どこにもないよ、そんなもの。

 私は昨日「知ってたよ」と書いた。それは諦念だ。第一報から私には諦念しかなかった。だってあのときもそのときも諦めるしかなかった。私たちはいっぱい諦めてきたはずだ。本当は諦めちゃいけないのかもしれない。でも私は私のために諦める。ほんの少しの期待だけを抱いて諦める。諦めるしかないんだと自分に言い聞かせている。言い聞かせてるんだよ。それが本当はどういうことかなんて聞かないで欲しい。私はこれ以上狂いたくない。

 最後にひとつだけこの件について私が初めてTweetしたことをそのまま話そう。私はステージの上にいる人たちを見るとき、ライトの当たっていないところは真っ暗で、見ないふりをするのはオタの矜持みたいなものだと思っている。一番始めにそのライトの当たっていないところを暴きたてたのは誰だ。その結果がこれか。だとしたらそこに未来はない。私が20年以上愛してきた人たちの、愛している人の未来を奪ったように、もしかしたら、今愛しているあの子たちの未来だって奪ってしまうかもしれない。どうか彼らの未来を奪わないで。あなたたちがやっているのはそういうことだ。そういうことなんだ。